トヨタのソフト戦略

ソフトウェア品質シンポジウムの基調講演でトヨタ自動車常務役員の重松崇氏の話を聞いた。トヨタの重松氏はESECなどの組込み系、ソフトウェア系のイベントでよく講演しているのを見掛ける。

もともと重松氏はソフトウェア技術者としてのたたき上げではなく、根っからの車屋から車載ソフトウェアを任されたという経歴を持つ。では、なぜバリバリのソフトウェア技術者ではない重松氏が組込みソフトウェア系、品質系のイベントに呼ばれるのか? それはもちろんトヨタ自動車が日本だけでなく世界的に高い業績を上げている企業であり、トヨタ式と呼ばれるハードウェアの生産方式と同じように、ソフトウェアの開発にもトヨタ式と呼ばれるものが存在し、それを真似すれば高品質のソフトウェアをアウトプットできるだろうと多くの人が期待しているからだ。

さて、重松氏は90分の講演時間のうち、半分以上を使って現在と未来の自動車に求められること(エネルギー効率のよいモビリティの追求と安全の確保)を語った。さすがだと思う。つい最近、JR のSuicaのプロジェクトを牽引した椎橋氏の話を聞いたが、椎橋氏も講演のほとんどの時間、鉄道を利用するお客さんの利便性を向上するために自分がやってきたことをとうとうと語っていた。

ようするに組込みは業務ドメインを知り尽くし、顧客要求(トヨタの場合は顧客というより地球や人類のことを考えているとのこと)を高める意志と戦略を持った者が、ソフトウェア開発のどこに力を入れればよいのかわかるということだ。(これはビジネス系のソフトも同じか)

でも、なぜ重松氏は車に特化したソフトウェア開発戦略をわざわざあっちこっちでレクチャーするのだろうか。その情報の公開はトヨタにとってどんなメリットがあるのか? 

これは予想だが、トヨタトヨタのソフトウェア戦略を公の場でしゃべることで、トヨタ社内やサプライヤのソフトウェアエンジニアに対して自分達の考え方を浸透させたいのだと思う。トップの方針を末端まで届けたいという意志があるに違いない。それに重松氏がしゃべった内容は、すぐに日経エレクトロニクスなどに取り上げられちまたの話題となる。なぜなら、冒頭で書いたように日経エレの読者はトヨタ式のソフトウェア開発方式がすべての業務ドメインに使えるだとうと期待しているからだ。

でも、特に組込みソフトの世界ではすべてのドメインに共通して有効な解法はない。なぜなら、業務ドメインや組織によって、市場要求や得意な技術、リアルタイム性などの性能要件、メモリ、CPUパフォーマンスなどの制約条件、組織成熟度、エンジニアのスキルがバラバラだからだ。でも、ツールベンダーやプラットフォーム提供者は、必ず自分たちのソリューションがすべて組込み開発に有効であるかのように宣伝するので気をつけた方がいい。こういうのにコロッとやられてしまう鴨ネギタイプのエンジニアやマネージャは組織の中に必ずひとりやふたりはいるものだ。

さて、重松氏は自動車に搭載する約60のECU群を今後4群に減らしていくと言っていた。自動車におけるECUのプラットフォームを共通化し、ソフトウェアの連携によって多様な要求(交通インフラから上がってくる情報を使って危険回避するような要求)に対応していくそうだ。

この施策の最大のリスクは、エネルギー効率のよいモビリティの追求と安全の確保のうち「安全の確保」の方が危うくなる可能性があるという点だ。

ECU が物理的に分かれ責務分割されている状態では、各ECUが起こす不具合、バグの責任は明確で、ECU別に責務の重さやソフトウェア品質の検証のハードルの高さを変えることができた。でもECUの数が少なくなってしまうと、責務の分割や安全の重要性はソフトウェアの中を見ないと分からなくなる。アーキテクチャを可視化して、システムの安全を確保するための安全アーキテクチャが確立されていることをソフトウェアの範疇で証明しなければいけない。安全クラスの低いアプリケーションソフトがメモリリークを繰り返して、重要なソフトに影響を与えないことを証明しなければいけない。ソフトウェアは人間が作っているモノなので絶対大丈夫とは言い切れないし、誰かがちょこっとなおした1行の変更がシステムに大打撃を与える可能性も否定できない。

ECUの数を極力少なくするのなら、ソフトウェアの安全設計、安全アーキテクチャが絶対に必要だと思う。大規模・複雑化したクリティカルデバイスにおいては、安全アーキテクチャは今後重要なテーマになっていくだろう。また、プラットフォームの共通化のメリットがデメリットを上まわる自信がないといけない。組込みソフトはいろいろなトレードオフのバランスの上で顧客満足を確保しているのだ。

さて、重松氏はモデル駆動開発についてサラッと問題点を口にしたが、自分は大事なその一言を聞き逃さなかった。それは「戦略なきプラットフォームの共通化は失敗(プラットフォームベンダにいいようにやられる)する」ということばだ。

プラットフォームの共通化モデル駆動開発ということばに踊らされて、商品の価値を高めることができるという確信がないままに、共通プラットフォームを採用してしまうと後々商品開発の基盤をプラットフォーム提供者に握られてしまうことに気がつく。重松氏はこの例として、ヨーロッパの共通規格団体 AUTOSAR が Windows を車載ソフトの共通プラットフォームとして採用する提案をしてきたので、日本の共通化団体の JasPar で使えない部分があることを証明してAUTOSARに進言したという例で語っていた。

重松氏の話を聞いていてトヨタは自前で自動車のソフトウェア全部を作り上げるつもりはないように聞こえた。サプライヤからのソフトウェア供給は今後も続くという考えのようだ。そうなると、クライアントとなる自動車メーカは難しくなっていくソフトウェアの理論についてどんどんうとくなり、サプライヤ側は自動車を取り巻く環境の詳細を把握しきれなくなる。トヨタの重松氏やJRの椎橋氏のように車や鉄道のことを知り尽くし、ソフトウェアの品質がどうあるべきかがわかる技術者がだんだんいなくなって顧客要求をよく理解しないソフトウェア技術者が作ったプログラムを自分たちの商品に実装せざるを得なくなってくると思う。

これはかなり危ない。車や鉄道の特性やリスクを知らない、意識しない技術者が作ったソフトウェアは間違いなく危ない。その機器が使われる場面においてどんな危険やリスクがあるのか知らないツールメーカのツールやプラットフォームも危ない。どうしてもそれらを使うのなら、それらが危なくないことを証明する責任は採用した側にある。それだけは忘れてはいけない。

P.S.

トヨタはソフトウェアでもトヨタ式を提唱していくつもりなのか?」という会場からの質問(電通大のにしさんより)に対して、重松氏は「生産方式には自信があるが、ソフトウェアについてはむしろ外部の知恵(例えばソフトウェア工学で培われたプロセスアプローチなど)を取り入れていきたいというようなことを語っていた。トヨタ式ソフトウェア開発は参考にするべきもので、生産方式のように安易に真似してはいけないということだ。