アメリカ人に責められたらサムライになれ

20年以上前アメリカ人の監査官とソフトウェア品質についてやり合ったことがある。自分の作ったソフトウェアに対していろいろ質問され、こんな性格だから自信持ってキッチリ答えたつもりだった。

だけど、判定はクロだった。そのときはなぜダメなのかまったく理解できなかったが、後から彼らが求めていることについて調べていくうちにだんだん分かってきた。

【判定クロの理由】

  • エンジニア個人の成果はその個人に由来するものであって、組織的な安全性や信頼性を担保するものではない。検証結果があるだけではダメで、検証の範囲、合否判定基準を明確化し、漏れなく実施するという組織的ルールが存在し、それが実行されていることが求められる。
  • アメリカ人はあらかじめルールを公開している。そのルールを事前に読んでいない、知らなかったは許されない。フェアーに対してアンフェアーな対応は絶対に許されない。
  • 責任あるものの承認行為が必要である。責任あるものはその責務を全うするための資格を持ちトレーニングを受けている必要がある。

自分は20年前の若かりし頃、エンジニア個人としての自信を打ち砕かれる出来事があってから、猛然とアメリカ人が求めていることを学習し理解することに務めた。そして、学習すればするほどアメリカ人の考え方と日本人のエンジニアの考え方に大きなギャップがあることを痛感した。

だから、それ以後ずーっと、アメリカ人と日本人の違い、欧米で体系化された方法論が日本で形骸化する理由について考えてきた。

アメリカ人はフェアーとアンフェアーに非常にこだわる。特に瑕疵(欠陥)があることを知っていたのに隠していたりすることは絶対に許さない。そして、それを見つけたとき末端の作業者ではなく必ず責任者を非難し罰する。

だから、疑いをもたれたら自分達の正当性を責任者が自信を持って説明しなければいけない。日本人はなかなかこれをとっさにはできない。常日頃、責任と権限について考え、アンフェアーを許さないスタンス、言動と行動をとっている必要がある。

曖昧でどっちつかずの対応をしている日本のエンジニアはアメリカ人に責められると徹底的に守勢に回ってしまう。そしてびくびく、おどおどしだし、いろいろな質問に対してグレーなことを指摘されると YES / NO を答えずに言い訳をし始める。そんなシーンをこれまで何度見てきたことか。

品質問題に関してアメリカ人に対峙するときのポイントはつぎの5点だ。

  1. アメリカにおけるルールをおさらいし頭にたたき込んでおく。
  2. そのルールに逸脱しているのかしていないのかという視点だけで物事を考えるようにする。
  3. 質問の意味が曖昧だったり、個人の主観に見えたときは臆せずにどのルールに基づいた質問であるかを聞く。
  4. ルールに反していないのなら自信を持ってその正当性を主張する。
  5. グレーだと思ったら白の要素の根拠を説明し、言い訳はしない。

好き嫌いは別にして、こういう訓練をしているとだんだん日本人の問題点が見えてくるのと同時に、自分自身に武士の魂が宿ってくるような気がするから不思議だ。

豊田社長にはアメリカ議会の公聴会でサムライとして堂々と質問に答えてもらいたい。

P.S.

現在、ソフトウェアの安全と信頼を実現する方法について書いた本を執筆していて、最終段階の校正をしている。3月の終わりの方には書店に並ぶようなスケジュールとなっている。それまでこのブログサイトで少しずつ本のコンセプトや内容の一端を紹介していこうと思う。

もちろん、このブログで主張していること、解説していることも随所に取り入れているので、ブログの読者の方々の期待を裏切らない内容となっていると思っている。

組込みソフトエンジニアを極める』第4章「品質の壁を越える」にも結構書いているんですけどね。

“品質の壁” は、組込みソフトに求められる安全性や信頼性をクリアするために越えなければならない目標です。組込み製品は人の生活に密着しており、組込みソフトは組込み製品をコントロールする頭脳となっているため、そこに不具合があるとユーザーに迷惑がかかるだけでなく、企業全体の信用も失墜してしまいます。企業にとっては製品回収の費用が利益を圧迫しているという現状もあります。組込みソフトエンジニアは、ソフトウェアの品質向上についての理論を理解し、プロジェクトや組織としてその理論を実践することで、製品の安全性や信頼性を確保します。組込みソフトを取り巻く世界は、グローバル化しつつあります。世界全体に広がった市場で、日本の組込み製品、日本の組込みソフトは品質が高いというブランドイメージを守り続けなければ、私たち組込みソフトエンジニアの足下も揺らいでいくでしょう。

組込みソフトエンジニアを極める』外伝より